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2025年7月17日木曜日

国主は甘いものがお好き・リチャ正(2)



 ――夢みたいな一日だったな。

 別れ際に渡された術符を指先でつまみ、正義はほうと溜息をついた。リチャードと行動していたのは半日のさらに半分程度だろう。が、まるで幻想でも見ていたような気がする。

(あいつ、綺麗すぎるんだよ!)

 龍の化身ならさもありなん、と納得しようとしたが、それを遙かに飛び越えていた。動く美の概念とでもいうか……。少なくとも正義はリチャードより美しい存在を見たことがない。身にまとった豪奢な縫い取りの長衣が霞むほどだ。リチャードにまた会いたいか? と問われれば、もちろん会いたいのだが……。

「どう考えても気まぐれだろ。使いやすそうな下っ端だから呼び出したんだ……ってあたっ!」

「大きな独り言だな」

 ぼん、と書類綴を正義の頭に載せて上司が正義を睨み付ける。周囲の視線を感じ、正義が愛想笑いを浮かべれば、もう一度叩かれた。

「二発は卑怯ですよっ!」

 思わず文句を言えば、やれやれと上司は正義の机の書類の束を置いた。

「さっきから一時間、術符を眺めていたぞ。ほら、暇だろうから追加で仕事だ。今日中に仕上げろよ」

「えぇーっ!?」

 時計は十五時過ぎを指し、終業時間までは三時間といったところか。それでこの量は……、確実に残業行きだろう。今日は早く帰って、ちょっと凝った夕食でも作ろうかと思っていたのに。恨めしく上司を見やれば、

「お前がぼんやりしているからだ。他の奴らはもう取りかかってるぞ。ったく、月末なんだから気を抜くなよ」

 と、追加で説教を食らってしまう。上司の言うことはもっともだ。正義は術符を大切に鞄にしまい込むと、渡された仕事に取り組みだしたのだった。



 それから数時間後……。

「終わった終わった!」

 背伸びして首を回せば、所内はすでに暗い。ぽつぽつと他の机にも光は灯っていることに安堵しつつ、正義は帰り支度をする。

「ったく、あんなにたくさん渡すなよなあ」

 ぶうぶう言いながら書類を上司の机に置き、机の明かりを消して鞄を持つ。明るい時間はごちゃついた役所内もなんだか賑やかに見えるのだが、暗い時間みると薄気味悪い。整理整頓をせねば、と思うのだが、こんな東の最果ての役所でもなかなか忙しい。それもこれも、交通の要所であるカヌマを抱えていて、常に積み荷の報告確認が求められるからだが。

「でも、文句を言えるだけ幸運だよな」

 月が煌々と照らす帰り道、正義はぽつりと呟く。

 何の後ろ盾もない自分が、登用試験を突破して、こうやって役所に採用された。同僚には「いくら積んだんだ!?」と変な驚き方をされた。正義が役人になるなんて、微塵も思っていなかったのだろう。当たり前だが、袖の下を渡すような金はない。試験一点突破だ。しかもこれ、たまたま古い過去問でやったところが出たという幸運さ加減だったりする。

「俺の仕事はアズマに住む市民に奉仕すること!」

 そう、決して国父たる龍、リチャードに仕えることではない。もっとも、引きの目線で見れば、回り回って正義もリチャードに仕えている流れになるのだろうが、そういうことではない。自分がもっと良い家の出で、頭も良ければ、中央政府の登用試験を受けるという手もあったが、

「今さらだよな……」

 リチャードにもうひと目だけ会いたい、という理由だけで、いまの仕事をすべて投げ打つなんて、できそうにない。もう二十八歳だし、気をつけないとやり直しが利かなくなる年だ。先輩たちにも口酸っぱくして言われている。『嫁選びは間違えるな』と。

 だがここで、正義にはもう一言つくのだ。

『お前なら婿にいける。家事全般できるから』

「それだけで婿に行けるなら苦労しないっての」

 しかも家事全般を引き受けて、さらに役所仕事はさすがに……せめて家事折半で、と思いながら集合住宅の階段を上り、自宅に入って電気をつける。

 すると、

「お帰りなさい。遅かったのですね」

 と、涼をはらんだ声が奥から飛んで来て、正義は肝を潰しかけた。靴も脱がずに板張りの台所を突っ切り、畳敷きの居間をのぞく。

「こんばんは、お邪魔しています」

 小さく金色の頭が下がる。彼が頭を動かすたび、しゃらしゃらと綺麗な音を立てているような気さえする。その乳白の肌からは蜜でも垂れてきそうだ。

「……は、え、どちらさん……」

 驚きから口走れば、なぜか思い切り頬を引っ張られた。痛い。おかげで正義も多少なりともしゃっきりしたのだが。

「リチャード、だよな?」

 そうだ、とでも言いたげにリチャードは大きく頷く。

「何呆けた顔をしているのです。夕食でしたら持ってきました。靴を脱いできたらいかがです?」

 と、彼は目線を落とす。正義はぎゃっと飛び上がって玄関まで戻り、靴を脱いだ。この辺りはまだ石畳で舗装されていないので、靴がどうしても砂っぽくなる。雑巾で台所を拭き上げ、改めて居間に正座するリチャードの前に正義も姿勢を正して座る。

「ほ、ほんもの?」

「生憎、私は国父を語る存在には出会ったことがありませんね」

「だよな……って違う! また甘いもん食いたくて出てきたのか? 苺大福ならもう時期が終わったぞ。次はモモだ」

「モモ、いいですね。どこの地域が美味しいですか? できれば甘味だとなお良しですが」

「だったら」とまで言って正義は目を怒らせた。「そうじゃない。なんでまた俺の家に? お前は国父だろう。こんなところで油を売っていていいのか?」

「いえ、あなたを心配しまして。降格などの憂き目にあってませんか?」

 予想外の質問に、正義は机に突っ伏しそうになった。そんなこと、部下に報告でもあげさせればすぐに分かる。なのにわざわざ来た。それってつまり……。

「ば、ばかじゃないのか!?」

「……ほう」

 夜空をうつしこんだような瞳が、すっと細められる。長い睫の影が頬に落ちて、いやにきつい表情となる。

「心配してきたというのに、その言い草はどういう了見か。釈明なさい」

「悪い! 悪かったって。びっくりしたんだよ。お前に会いたいと思ってたら、家にいたなんてさ」

 手を合わせて正義が謝れば、少し機嫌を直したかのようにリチャードが二度頷く。

「左様ですか。ではどうして術符で来なかったのですか? お茶を支度して待っていたというのに」

 どこかズレた発言に、正義は頭を振った。

「あのさ、できるわけないだろ。お前に術符を渡されて、いつでもどうぞ、なんて言われて行ける下っ端役人なんていないぞ」

「でも前回は来られたではありませんか」

「それは仕事があったからだ」

「ほう。では仕事であれば、来られるということですね」

 言質を取った、と明るい顔をするリチャードに、正義は釘を刺す。

「やめろって! お前に迷惑がかかる。俺はお前を見られるだけで大満足だ。俺には何の支障もない。だから帰って大丈夫だ」

 本当はもっと話したいし、ふたりで何かできたらと思う。

 だが望むだけ虚しい。相手は国父だ。日々国の難事で忙しいはずで、こうやって正義のもとに来るのも本当は別の意味で難しかったはずだ。

これならいっそ、自分が行けばよかった。リチャードの手を煩わせるぐらいなら、降格覚悟でリチャードのいる宮殿に術符で飛べば、簡単に望みが叶ったのに。自分の変なところで押しが弱いところに肩を落とせば、リチャードが顔を寄せてくる。

「私は見るだけでは満足しない」

 そしてリチャードが宣言する。

「あなたを雇いましょう。案内人として」

「はい?」

 さっきから話が飛びまくっている。というか、一気に詰められたのだろうか? その判断をする前にリチャードが顔をのぞき込んでくる。

(あ、駄目だ……)

 この顔に迫られると、思考が停止してしまう。ついつい見とれてしまうのだ。自分の顔面の威力を知っているのかと問い詰めたい。そのくらい暴力的な美しさなのだ。リチャードを前にすると、どんなことにも「はい、喜んで」と二つ返事で引き受けてしまいそうになる。

「あなたの上げる報告書は面白い。ですから、この目で見てみたいのですよ。あなたが報告書で知らせてきた地域を。苺大福はそのきっかけです。あなたの案内は次第点でした」

「そんなの、中央政府の皆で……というか次第点って、あたっ!」

 リチャードがいつの間にか手に持っていた扇子で額を打ってきた。今日はよく怒られる日だ。しかしなけなしの自制心を繰り出してこれとは、と正義は額をさする。

「報告者の視点で見て回りたいのです。分かりますか?」

「わ、分かったよ。俺の知っているのは、アズマの一部だけだけど」

「構いません。ふふ、こうやって市井に出るのは久しぶりです。護衛がうるさいのですよ。私ひとりでも大丈夫だというのに」

「お前は楽しそうだけど、俺はもうひやひやだよ」

 それに外で目線を集めるのは、その美貌のせいだ、と言ってやりたかったが、なんだか指摘してはいけない気がして正義は口をつぐむ。

「ご安心なさい。正式な書面を送りますから。さあ、食事にしましょう」とリチャードが手を打てば、居間のちゃぶ台に料理が現れた。炒飯に春巻き、青野菜炒めと疲れた身体にありがたい。

「すげえ! これも龍の力か」

「そんなところです。料理は違いますが」とやや苦々しげにリチャードは言った。術で料理が作れないのがそんなに悔しいのか、と内心思いつつ、「いただきます!」と勢いよく食べ始める。これまで食べたことがないような味付けだ。なんというか、澄んだ味わいなのだ。たぶんこれが『高級な味』なのだろう。

「よい食べっぷりですね。デザートも持ってきたかったのですが、大変に崩れやすく断念しまして。やはり持ってくるべきでした」

「あるぞ。ちょっと待っていてくれ」

 と、箸を置いて正義は台所に大股歩きで向かう。そして賞与をはたいて買った冷蔵庫を開け、中からバットを取り出す。冷えたマグカップには黄色のプリンが美味しそうに収まっている。

「うん、できてる。リチャード、はい」

「ん……、これは……」

「プリン。中央住まいなら見たことぐらいあるだろう? 卵の賞味期限が危なかったから、昨晩まとめて作ったんだよ。ま、中田家の味ってやつだな」

 お前の口に合うか分からないけど、とリチャードの前におもむろに置き、スプーンを渡す。するとリチャードはそろそろとプリンをすくい、一口食べた。そしてその場でぷるぷると震えだした。きゅうっと引き絞られた目は、「おいしい」と言っているような気がするが……。

「あなたを料理人として雇います。役人にするには勿体ない」

「待て待て、話が飛んでるぞ。俺はちょっとできる程度だよ」

「ですが、この味は」とリチャードはぱくぱくと食べ進める。そのうち、眦に光るものが浮かんでくる。正義は前のめりになって訊ねた。

「な、泣くほど上手かったのか!?」

「黙らっしゃい」

「はい」

 正義が素直に腰を落ち着け、食事を再開すれば、リチャードは軽く眦を拭って言った。

「……大変良きものをいただきました。ありがとうございます」

「どういたしまして」

 ――その後、正義も自家製のプリンを食べたが、いつも通りのシンプルな味わいだった。どこにリチャードの涙を誘うほどの感動があったのだろうか?

「不思議だ……」

「何も不思議ではありません。では、また後日会いましょう。おやすみなさい、正義」

「ああ、おやすみ」

 変な会話だな、と苦笑いするころには、リチャードの姿は煙のようにかき消えていた。龍ともなると、移動に術符すらいらないようだ。正義は満腹になった腹をさすりながらごろりと横になり、リチャードとの会話を反芻していたが、突然起き上がって頬を抓る。

「いってえ……」

 間違いなく現実のようだ。しかしあり得るのか? リチャードがわざわざこんなアパートに来て、案内人として雇うなどと言い出すなんて。それほど中央政府は堅苦しいのだろうか?

「リチャードが言えば、なんでも言うこと聞いてくれそうなのにな」

 まあ、色々事情があるのだろう。そういうことにしておく。でないと――、一晩中リチャードについて考えてしまいそうだから。

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