――今日も良い天気だ!
ベランダに洗濯物を干し終え、部屋に戻ってくるとソファでリチャードは新聞を読んでいた。お茶は空だ。お代わりを所望されるかな、と足音を殺してキッチンに向かっていれば、
「マイリトルパピー」
と、音楽のようにリチャードが呟いた。思わず立ち止まって聞き惚れてしまうほど美しい発音だった。こんな風に呼ばれたら、即座に尻尾を振って飛びついてしまうだろう。そうしたら待てだと叱られるのだ。
(しかしマイリトルパピーって……?)
新聞にそんな記事があったのだろうか?
根っからの犬好きであるリチャードは、新聞でもネットでも犬関係の記事を読むのが大好きだ。動画の履歴なんかほぼ犬で埋まっているんじゃないんだろうかと思う。
「マイリトルパピー」
もう一度リチャードが言う。リチャードが新聞から本に持ち替えている。あの本も犬関係か? それとも……ジローとサブローのことを呼んでいるのだろうか? それとも犬成分が足りなさすぎて、恋しさ余って呼んでいるのだろうか? その手の抑制の効くリチャードにしては珍しい、と首をかしげつつ訊ねる。
「リチャード、ジローとサブローはまだ検疫中だよ。それともイマジナリードッグでも見えてる?」
「マイリトルパピー」
今度は俺の目を真っ直ぐに見て言ってきた。俺の頭の上にイマジナリードッグが載っかっているのか? 目だけ上げて見つめれば――当然だが天井しか見えなかった――、リチャードが甘さをまぶした話し声で告げる。
「あなたのことですよ、正義」
「は、俺?」
と自分で自分を指させば、リチャードは大きく頷いた。そしてさも当然のように言い放った。
「マイリトルパピーはあなたしかいません」
「あのさ、俺、結構デカいと思うんだけど……?」
犬にたとえるなら柴犬どころかゴールデンレトリバーぐらいはあるだろう。たぶん。するとリチャードは目を細め、珊瑚色の唇で呟く。
「私にとってはマイリトルパピーです。さあおいで、マイリトルパピー。お茶はあとでいいですから」
こう言われて飛びつかない犬がいるだろうか?
俺はキッチンから飛び出すと、子犬のような気持ちでリチャードに抱きついた。俺の腕の中でリチャードが肩をすぼめておかしそうに言う。
「体格だけはリトルパピーのそれではありませんね」
「でないとお前を抱きしめられないよ」
「おやおや、これで抱きしめていると。私が手本を見せましょうか?」とまるでぬいぐるみに頬ずりするようにリチャードが顔を寄せ、額に口づけをする。思わずぎゃあと声が出て、リチャードがくくっと笑った。
「今さらでしょう。私のかわいいマイリトルパピー、どうしてあなたはこんなに愛らしいのでしょう?」
「いやいや、寿命が十年縮んで三十年伸びたぞ!」
「その理屈でいくと、キスをするだけ寿命が延びますか?」
とんでもなリチャードの発言に、一瞬、朝のロイヤルミルクティーにブランデーでも垂らしてしまったかと思ったが、これが結構、割と平常運転だったことを思い出した。リチャードは吹っ切れると強いのだ。本人もそれを分かってか、あえて悩んでいるのでは、と思うことが俺はままある。
まあとにかく、いま、みのるくんが学校に行ってくれていて心底良かったと思った。
だって、俺もリチャードにキスをしまくって寿命を延ばしたいと思ったもんな。
そして、リチャードもそう思ってるんだ。
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