(あ、まただ)
丁寧な字で、〜号室 中田正義様宛で手紙が届いている。
送り主はイニシャルのみ。
必ず、本人に手渡してくれと一言添えてある。
(いいなー、三日に一度は届くよね。どれだけ愛されてるんだか)
まったく女心の分かっていない彼氏に煎じて飲ませてやりたい。まじまじと見るのは御法度とレタートレーに入れる。まだまだ手紙はたくさん届いていたし、仕事の時間に限りはある。宿泊客宛の手紙を仕分け終えると、指示通りに配達していく。
~号室。
軽く息を吸ってノックすれば、間を置かずにドアが開く。用件を告げれば、
「いつもありがとうございます」
と、「中田正義」は手紙を受け取った。
ーー前略
格式張った出だしに正義は毎回笑いそうになってしまう。付き合いは足掛け二年にもなろうか。
生物学上の父親とのトラブルで、自宅を出、いまはリチャードの手配でホテル住まいだ。良い身分ではある。
が、何せ刺激がない。豪華な病室と言ってもいいだろう。今の自分には丁度いいのだろうが、物足りなさもある。まあ、上質なモノばかりだと飽きる、と言うことだろう。
手紙の内容は至って、メールの内容と変わりない。違いがあるとすれば、リチャード自らしたためた文章からにじみ出てくる温度、気配であろうか。メール文章でもそれと頭に響く感覚が、手紙だと匂い立つ。リチャードがラブレターでもかけば、一発で相手を落とせるだろう。
·
美の神に魅入られた男は、何をしても美しい、ということを改めて思い知る。そんなことを考えていたからか、手紙の末尾に来て、
「……ん、なんだったっけ」
と読み直す始末である。
正義は頭を振って、気合いを入れ直す。
「ああ、またこられたんだ。気に入ってくれたんだなあ……うん、あの茶菓子は美味しいよな」
つらつらと描かれるエトランジェについて味わう。もう血肉になっているような気がする。血が入れ替わる。そんなことは有り得ないが、いま、そう感じた。
「雲まで見える明るい夜にこの手紙を書いています」
突如雰囲気が切り替わる。ここからは仕事のことではなく、リチャードの個人的な感性が流れだしている。誰かに読ませるというよりは独白のような…のぞいてよいものかとも思うが、リチャードが書き付けている。自分にできることは読むことだけだ。
「これは目的のない手紙です。」と端正な字で書かれている。目的のない手紙、と口の中で転がす。ハッカのような味わいがあった。「あなたにはそういう時間が必要かと思います。あなたはいつも誰かの演者でしたから」演者。言わんとする意味は分かるが。
(望んでやっているのなら、問題ないだろ?)リチャードには、誰かの期待に応えることが喜びになり、それが人生の軸になっていて、さらに、
(それが報酬であり目的で、下心なんてないんだ)
そんなものがあれば、自分はもっと上手に立ち回れただろう。
生物学上の父親を前にして、もっと冷静な……現実的に取るべき事を取れたように思う。具体的にどうしたら、とは浮かばないが、自分が取ったやり方は、美味いやり方とは言えない。昔からそうだ。誰かに頼るのが、致命的に上手くない。
かといってすべてがすべて自分で完結できるはずもなく……
「また読み飛ばした」
はぁ、と溜息をもらす。このホテルに住みだしてからも、以前のような集中力は取り戻せていない。たまにあの古びたアパートが懐かしくなる。
(無理してひとり暮らししたからかな……)
自宅から大学までは、通おうと思えば通える距離だった。大学には自分の実家よりも遠くから通ってくる生徒もいた(とある生徒など、新幹線とタクシーで毎日通っているそうな。名家の子女らしい)。ひろみだってあまりいい顔はしなかった。それは費用だと思い、
バイトで賄うといったのだが、そうではなかった。ひろみはきっと、こういう事件が起きることを恐れていたのだ。
まぁしかし、起きてしまった以上は仕方ない。頭を切り替えて手紙の続きを読む。
「この文章を読んでいるあなたが、どのような気持ちかは分かりません。突き放されたように感じるでしょうか。ですが、私はあなたに、あなたの人生を見せてほしいと願っています。『誰かのために』でなく『あなたのために』願いの欠片を見つけてください。
それは宝石を研磨するときに出てくるような、欠片のような……小さな願いのさざめきでしょう。大海で貝があぶくを吐いたような揺らめきでしょう。その揺らめきこそが、あなたの本心でしょう。私はこの年まできて、ようやっとそうだと知れたのです。
あなたは私を世界一のセールスマンだと思っているでしょう。私がそうなれたのは、その揺らめきを感じ取れるからです。これは私だけが持つ特殊な力ではありません。誰しもが持っています。ただ、それを信じていないだけです。
あなたは揺らめきを探しに出てください」
ここで文章は終わっている。正義は天井を見上げ、長く息を吐いた。肩から力を抜くように。そして手紙を丁寧に畳んで封筒にいれ、窓から街並みをぼんやりと眺める。
ここにリチャードがいる。
だが、この手紙を残して去って行ったような気がした。以前あった相続問題の一件から、
そういう不義理はしなくなったし、いまの状況を踏まえると有り得ない。そう自分に言い聞かせてみるも無駄だった。気がつけばリチャードに電話を架けていた。しかし出ない。ならば――、
「……正義、どうしましたか。また急に」
――エトランジェに顔を出していた。
「寒かったでしょう。お茶を入れましょう」と言うリチャードの前に正義は立ちはだかる。そしてふるえる声で言った。
「俺の中に、揺らめきはない、気がする」
「他の誰かに転生したいですか?」
「それは……」
「たとえば、あなたの大学に通う、ごく一般的な家庭で育った男子学生です」
胸が痛む。
それは――……。
「そうだとしたら、起きる出来事を想像してみてください。そして、こちらのノートに書いてください。私に見せる必要はありません」
そう言って渡されたのは、重厚な装丁が成された革張りのノートだった。小口は青塗りされ、分厚さの割には軽い。
「差し上げます。あなたの相棒にしてください」
あなたには自分を知る時間が必要です、とリチャードはベルベットのような声音で告げる。
「私のように長い長い遠回りをしないように」
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