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2025年7月24日木曜日

甘い煉瓦の家・リチャ正

    甘い煉瓦の家




 ――横浜。

 これまでホームグラウンドだった東京銀座を離れれば、リチャードが満足するようなデザートにはなかなか巡り会えないのでは……。

 と雇われ秘書の俺は危惧していた。あの東京銀座から新宿のデパ地下を制覇し、商談でなくデザート談義をしに来るおばさま方にも一目置かれているリチャードだ。そんな甘味大王が、横浜で満足できるのだろうか?

 あ、もちろん、横浜にだって美味しいお菓子はたくさんあるだろう。スリランカの素朴なお菓子だってリチャードは喜んでいた。

 デザートに貴賤なし。

 それは分かっている。

 が、リチャードが以前、『新宿のデパ地下はエデンですね』とうっとりとした目つきで言っていたのを知っている身としては、横浜に拠点を置くのは少し気が引けるのだ。

「なあ、リチャードはエトランジェがメインだよな」

 横浜に着いた初日、まだ前住人の気配が漂うマンションで荷ほどきをしながら訊ねれば、ソファに消臭剤をぷしゅぷしゅとかけながらリチャードが答える。

「はい、その予定です。外での商談は正義にお任せします」

「ならおやつ問題はまるっと解決だな。あー、でも俺が買いだしに行きたかったなあ。この時期だと桜のデザートがあって……、綺麗なんだよなー、ザ・日本って感じで」

「何の話をしているのですか?」

 窓を開け、空気を入れ換えながらリチャードは言い、今度はカーテンに消臭剤をぷしゅぷしゅやり始めた。この調子だとドラッグストアで買ってきた消臭剤は一日で使い切られるだろう。ジェフリーが見たらショックを受けそうな光景だ。

「俺、横浜は詳しくないんだよ」

「要点を早く言いなさい」

「あー……ええと……」俺は頬を掻く。「デザートの買い出し、俺にもさせてくれ! 横浜にお前が気に入るのがあるかは分からないけどっ!」

 と、手を合わせて拝めば、消臭に勤しんでいたリチャードの動きがぴたっと止まった。そして大きく深呼吸すると俺の方にやって来て、軽く頭をチョップされる。 

「このたわけ」

「へ?」

「私のデザート係を自認するのは構いません。が、それならあなたが探せ。次のステップに進むいい頃合いです」

 デザートのお使いにステップなんてあったのか、と言えばまたチョップされるだろう。それにリチャードの言うとおりでもある。俺だって二十歳のときからリチャードのデザート係をしてきた。リチャードの好みは知り尽くしている、と自認している。

「明日、私はエトランジェに午前中だけ顔を出しますから、その間にあなたに横浜でのデザートの買い出しをお願いします。日本に帰ってきたお祝いをしましょう」

「分かった! しっかりリサーチして買ってくるよ」

 と、こんなわけで――、俺の横浜デザート探しははじまった。

 観光地とだけあって、銘菓は種類豊富だし、訪れる観光客狙いのパティスリーも多い。ただ個人店は冒険だ。基本的に人気店にハズレ無しなのだが、タイミングによっては売り切れることもある。俺は仕事の合間に買いに行くから、できれば『行ったら必ず買える』のがいい。そしてあんまり食べたことが無いようなデザートがいい。

「……これだ」

 リチャードがとっくの昔に自室に引っ込み、夢の国に旅立っているころ、これぞという洋菓子を俺は発見した。即座にブクマ。明日はオフだから、朝一で行こう。

(リチャードも明日は休みなのに、店に顔を出すのは律儀だよな。まあ、懐かしさもあるよな)

 俺も一緒について行きたかったが、そうなるとふたりで銀座のパーラーでぼうっとしてしまいそうだ。それに今回は俺の方が事情があってやることが多い。ささっと買えれば良いのだが。

「よし、俺も寝よ」

 この日の夢見は最悪だった。お目当ての店の行列がいつまで経っても終わらないのだ。目覚めてからもその懸念は消えず、開店する三十分前には店前についていた。

「よかった……並んで、ない」

 観光客こそちらほらいるが、そんな列を成すほどではない。安堵から周辺をぐるっと見て回り、開店と共に店に入る。そして……。

「こんな簡単に手に入るとは。やっぱ日本はすごい」

 ――海外暮らしを経験してから痛感するが、『時間通りに店が開く』『売り物が揃っている』ってものすごいことなのだ。テストに出るな、これは。

 それからは急いで帰宅する。要冷蔵だと言われたのだ。そこで冷蔵庫の特等席に買ってきた洋菓子をしまう。

 リチャードの反応を楽しみにしつつ、昨日の荷ほどきを再開すれば、当の本人から連絡が入った。

『もう帰ります。昼飯も家で食べます』

 簡素な連絡はいつものことだが、ちょっと心配になった。てっきりお気に入りの店で食って帰ると思っていたからだ。

「まあ、リチャードも疲れてるか」

 そんなときは家でゆっくり食べるに限る。と、急いで米を仕掛けてスイッチオン。近くのスーパーでぱぱっと買い出しをして、簡単な昼食――卵焼きにウィンナー、ゆでたブロッコリー、そして最後はほかほかのおにぎりだ! おにぎりさえあれば、どんな食卓も豪勢さ三割増しに見えるのは俺の思い込みだろうか?

 と、最後のおにぎりを握ったとき、リチャードが戻ってきた。グッドタイミングだった。冷えたおにぎりも美味いが、温かいおにぎりはもっと美味い。リチャードに座って座ってと急かし、食卓に作ったものを並べる。

「わざわざ重箱に詰めたのですか」

「雰囲気出るだろ? こういうのは日本ならではだし」

 いただきます、とふたり声を合わせて言い、食べはじめる。米の味が身体にしみる。俺はどこの国の料理も美味しく頂けるが、やはり祖国の味は美味い。美味すぎる。リチャードはおにぎりを片手で持って食べつつ、神速の箸さばきで口の中におかずを放り込んでいた。まるでブラックホールみたいな食いっぷりだった。

「もっと作ればよかったかな?」

「デザートがあるでしょう」

 男ふたりで三合をぺろっと平らげるのは珍しくない、が、十五分かそこらで空にするのはおかしい。リチャードも俺も日本の米の味に飢えていたのだろう、きっと。俺は食器を下げると、咳払いして言った。

「では不詳、中田正義が選んできたデザートを発表致します。それは――、こちらです」

 と、冷蔵庫から出したデザートを箱のまま皿に載せ、リチャードの前に置いた。このデザートは箱から見て欲しいと思ったのだ。

「ほう、横濱煉瓦……フォンダンショコラですね」

 と、リチャードは興味津々といった面持ちで小箱を持ち上げると、まるで繊細なジュエリーを扱うかのように箱を開けた。そして中のフォンダンショコラを皿にあけ、フォークで感触を楽しむように切り、一かけ口に運ぶ。

 ――緊張の一瞬。

 かの甘味大王を満足させられるのか、と心臓をばくばくさせていた俺の心配はすぐに霧散した。リチャードは一口目を無言のまま味わうと、そのまま二口目に進んだ。何も言わずにただ横濱煉瓦を味わうことに集中している。と思いきや、リチャードの足がぱたぱたと動いているのが振動で伝わってくる。

 これは訊かずとも分かる。

 リチャードの審査、合格だっ!

 ほっとした気持ちでロイヤルミルクティーを入れ、甘い煉瓦を堪能するリチャードにサーブする。待っていましたと言わんばかりにリチャードはロイヤルミルクティーを飲み、法悦のため息をつく。

「この煉瓦で家を作ったら、さぞ甘い家でしょうね」

「冬なら作れるぞ。あ、クリスマスの時期にいいかも」

「私も協力しましょう。設計図ぐらいは引けます」

「お前が引いたら、家でなくてキャッスルができそうだ」

「いいではありませんか。たくさん食べられて」

「さぞかし食べがいのある城だよ」と俺が笑いながら言えば、リチャードはしれっとこんなことを言って俺にキスをした。

「あなたほど食べがいのあるデザートはありませんでしたよ」


 ――日本帰国二日目の午後は、ベッドで過ごすことになった。

 一日ぶりのリチャードの腕の中は、甘いチョコレートの香りがした。

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